シンデレラになれる歳じゃない

ジャニ沼10年選手〜King & Prince 平野紫耀が好きなんだ!〜

二人目の担当。

2012年の秋に運命の出会いを果たしました。山田涼介沼から抜け出すキッカケとなったボーイ。
平野紫耀!!!!!
衝撃を受けた。もうカンンワイイイイイ!!!!って一目惚れ。兎に角可愛かった。山田涼介のときの衝撃再来!みたいな。今まで年上とか同級生しか好き!!!!ってならなかった私の中に革命が起きた。はじめて年下に心を奪われた!!!!正直、山田涼介で古参なことに優越感を抱いていたし、今までの時間とお金が勿体無いしなって思ってて担降りすることに悩みまくった。けど、しょうちゃんを推すならファンが少数しかいない今しかない!!!と思った。そう、わたしは古参厨なのだ。そんな私はその答えに至った結果、速攻担降りを決意。
正直、「やりきった感」はあったけど山田くんのことまだ好きだったし、掛け持ちでもいいかな?って気持ちもあった。けど、自分のプライドとして絶対に掛け持ちはしたくなかった。他人の掛け持ちはどうこう言わないし、人それぞれだと思う。だけど、自分の掛け持ちはどうしても許せなかった。「中途半端に応援したくない。するなら本気で応援したい。」そう思ってた。
まだツイッター界隈でもしょうちゃんのファンは3〜4人しかいなかった。その後は何度か松竹に通った。久しぶりのジュニア担。めちゃくちゃ楽しかった。掲示*1でも死ぬほど叩かれた。個人情報も筒抜けだった。別に痛いことをしてたわけでもない。友達が有名だったからとばっちりだった。楽しさと辛さと怖さが交差してあんまりこの時期の記憶はない。そして、そのまま大学に入学した。大学に入学して時間が出来ると思ったら全くだった。実習が多く、土日も休みが少ない。バイトもあんまり入れない。必死だった。ちょうどそのタイミングでしょうちゃんも関西から出て行ったしまった。しょうちゃんの現場に通いたくて関西の大学に進学した。なのに、しょうちゃんが関東に行ったのは私が大学に入学してすぐだった。完全に萎えきってしまった。そのタイミングであんまり人には言えないようなものにハマった。ストレス解消だった。ヲタクを辞めた。茶の間になった。
テレビだけでしょうちゃんを応援する日々が続いた。2年〜3年くらい続いたと思う。しょうちゃんの東京での活躍はテレビの中から見ていた。すごくすごくキラキラと輝いていて、いつの間にか本当に手の届かない存在になっていた。悲しくなった。そんな中、事情があって大学を留年することになった。同時にハマっていたものから手を引いた。それから2ヶ月後、しょうちゃんがKing &Princeとしてデビューすることが決まった。デビューの知らせを電車の中で聞いた。人知れず涙がこぼれた。すごく嬉しかった。
ステップアップのために名古屋から関西に出てきてジャニーズに入った。そして、さらに上のステージを目指して東京に行った。当時は悲しかった。けど、今なら全てが理解できる。彼は常に1つ上のステージへとステップアップするために日々のこと考えて行動していた。しょうちゃんを見て応援していた人間ならわかりきっていたはずのことを自分にとってマイナスになったことによって裏切りだと思ってしまった。私はしょうちゃんが誰よりも野心家で努力家なことを忘れていたのだ。
例えば、SHARK*2もはじめは見ていられないような演技だった。歌も最悪だった。だけど、回を増すごとに演技が変わって行っていた。歌も少しずつ上手くなって行った。しょうちゃんはダンスばかり頑張っていたけど、あのドラマがきっかけで歌や演技の大切に気づいた。そして、努力していた。このドラマ1つをとってもしょうちゃんが努力家ということは分かっていた。
ずっと頑張っているところを見ていたのに、分かっていたはずなのに努力の過程を見届けるのを辞めてしまった。死ぬほど後悔した。これからのしょうちゃんの成長を見逃したくないと思った。私はしょうちゃんのファンからヲタクに戻ることを決めた。


誰よりも努力家で野心家な私の二人目の担当。
平野紫耀くん

これからは見逃すことなく彼の成長を見届けたい。最後の担当にしたい。

*1:たぬきのジャニーズ版

*2:2014年に放送された平野紫耀主演ドラマ